2023全国大会in函館

道を拓く ~変革への挑戦~

大会実行委員長 三浦 孝司

コロナウイルスの流行で経済環境が一変しました。世界の交通が遮断され、年間4,000万人のインバウンド消費は蒸発し、数度にわたる非常事態宣言によって飲食店の営業時間が制限されて、飲食外食消費が激減しました。

函館は国際観光都市として経済の柱が確立されていましたが、ホテル・バス・タクシー・飲食外食・クリーニング・土産・観光施設が打撃を受けて、函館経営研究会においても8割の会員が、飲食観光関連企業でどん底に突き落とされました。
余裕をもって全国大会を開催するという状況ではありません。しかし、会員それぞれがどん底から脱却し、業績の向上とともに全国大会を開催するまでの過程の様を見ていただき、共に学びともに栄える理念実現の大会にする意気込みです。
環境と仕事と健康を同時に取得するワーケーションを体験し、共に考え、共に再生の道を拓きます。

歴史を紐解けば、江戸時代には、高田屋嘉平が日本初の起業家として活躍し、カムチャッカに連行された際にはネゴシエーターとしてロシアと渡り合い、ゴローニンは「勤勉で心使いのある日本人は東洋の王者になる」と予言した海洋都市函館です。
東京ニコライ堂と函館の関係は知られていますが、初めてのクリスマスのお祝いが行われたのも函館です。今や日本中の家庭が行っています。

ペリーが来函し、長崎・下田とともに世界に港をいち早く開いた要所です。
五稜郭は、幕府軍と新政府軍との最後の戦場になりました。五稜郭城を設計した武田斐三郎は、のちに諸術調書の学長となり全国から優秀な門下生が函館に学びに集まりました。諸術調書はのちに移転して東京大学になりました。
明治22年には、コレラなど水を介して広がる伝染病が蔓延するのを防ぐことを目的として日本で最も早く水道整備が行われました。

戦後は、北洋漁業、函館ドックが発展を遂げましたが、産業構造の変化で衰退します。近年は、青函トンネル、新幹線開通、国際観光都市宣言、縄文遺跡群の世界遺産登録など環境の変化こそあれ、地域の発展、成長には不十分です。現在函館の人口は25万人を切り日本一の高齢化都市です。地理的には温泉保養地があり、交通便利、食べ物は戸井マグロ、イカの豊かな漁場がありますが、産業の衰退と若者の流出を食い止め、活力ある都市再生のために青函をまたぐ海の力と食糧自給率
200%の大地の恵みを生かすことが急務と考えます。

先人たちは逆境に負けず、どん底でも焼野原で立ち上がって今を築いてきました。人のつながりと信頼、私たちは、この全国大会を、世界的な大きな変化をチャンスに変える意義のある大会と位置づけ、共に道を拓くことに挑戦します。

2023全国大会案内パンフレット(PDF)